Mad Professor

1979年にレコードレーベル/スタジオの「アリワ(Ariwa)」を創設するなど、40年以上にわたってUKダブ・ミュージックの重要人物であり続けるニール・フレイザー(Neil Fraser)、通称マッド・プロフェッサー(Mad Professor)。第二世代のダブ・ミュージック・プロデューサーの中でも最も有名で、最も多くの作品を手掛けてきた人物だ。キング・タビーやリー・“スクラッチ”・ペリーといったダブ・ミュージックの先駆者やレジェンドたちに続いて、彼は様々な機材を用いて独自の革新的な方法で実験的な試みを行っている。80年代にアリワ・スタジオで制作したアルバム『Dub Me Crazy』は、レゲエが電子音楽の時代へと移行する上で大きな役割を果たした。ホレス・アンディ、ジョニー・クラーク、スライ&ロビー、ブジュ・バントン、U・ロイといったレゲエ・ミュージシャンは言うに及ばす、デペッシュ・モード、ジャミロクワイ、ビースティ・ボーイズ、マッシヴ・アタック、ランシド、ジ・オーブなど数多くのアーティストやバンドが、この電子音楽の狂気の魔術師にプロデュースを依頼している。こうした数々の作品を手掛けてきたキャリアは、UKのベース・ミュージック隆盛の基礎を築いたものとして記憶されていくに違いない。

あなたにとって、「アナログ」とはどのような意味がありますか?

うーん、僕にとってというより、それは何なのかっていうことだよね。今だと、それは振幅の変調を伝えられる信号であり、デジタルの対義語だと言える。「やあ」と言えば、その声の振幅の上下が伝わるわけだ。アナログ録音とは、一言でいえば正弦波を記録するものだ。これに対してデジタル録音では、すべてを滑らかな曲線ではなく、点として記録する。

あなたは最初、ラジオなどを自分で一から組み立てることから始めたそうですが、技術的重要性以外で、アナログはあなたにとって何か特別な意味を持つものなのでしょうか?

実際のところ、最初の頃はすべてがアナログだった。それしかなかったから、「アナログ」とは何かなんてそもそも話題にならなかったんだよ。この言葉を耳にするようになったのはデジタルが登場してからだ。そう、昔はアンプやトランスミッター、リバーブなんかを自分で組み立てたけど、それらはみんな基本的な信号を使ったものだった。入力と出力があって、位相が変えられる。位相を変えて変調をかける、基本的にはそれがアナログのすべてだ。それであらゆるものが作れた。簡単なアンプからフェーズフィルターを組み立てれば、位相信号をいじってシフトさせられる。無限の可能性を持つもの、それがアナログさ!

ラジオを組み立て始めたきっかけ、そしてこの世界に興味を持ったきっかけとはどのようなものだったのでしょうか?

5歳か6歳、あるいはもうちょっと大きくなってからだったかな。カリブ海沿岸の故郷にいたころ、家にあるのは電球とラジオぐらいだった。ある日母親に「電球は何で光るの?」と聞いてみたんだ。 母親は「フィラメントがあるでしょう。電球にガスが入っていて、それでフィラメントが光るのよ」と教えてくれた。「まさに魔法だ!」と思ったね。 それから僕は、「ラジオのどこに人が入ってるの?中に入って見てみたい!」と言った。 中に人なんて入ってないよって母親が言うから、ラジオの中を覗いてみると、代わりにワイヤーがあった。そこで、母親の勧めるまま図書館に行き、ラジオの仕組みについてあらゆる本を読んで、自分で実際に組み立ててみたんだ。次に関心を持ったのがアンプ。A級とB級アンプを組み立てて、それからミキシングデスクさ。あらゆるものを作ったよ。しまいにはとうとうスタジオまで作ってしまったね。そういうわけで、装置の組み立てから始めたんだ。欲しいものは、なんでも自力で組み立てたものだったよ!

音楽業界でスタジオエンジニアを始めた頃は、どんな音楽から影響を受けていましたか?

モータウンなんかだね。その後はキング・タビートレジャー・アイルフィラデルフィアのダブとか、初期の多くのダブ。あらゆるソウルミュージック、コクソン・ドッドのような素晴らしいレゲエにも影響を受けた。

キング・タビーたちによるダブの出現と共に、サウンドエンジニアからアーティストになった、ということですね

まさしくその通りだよ。それまで、エンジニアはスタジオやラジオ放送局に座っているだけで、手掛けたトラックに何の足跡も残さないのが普通だった。彼らは名前を出すべきではないと考えられていたんだ。ダブの登場によってそうしたルールが破られた。「そうか、この娘がエンジニアか。このトラックは彼女が手掛けたやつだな、分かるよ、いつもこういう感じやってるからね」といった具合だよ。 ダブはそうした流れと共に登場した。マイキー・ドレッドなんかがラジオ番組にエンジニアとして参加していると、すぐに分かるんだよ。彼がDJになるよりも前から、彼はトラックに必ず何か処理を施していたから。DJの声にリバーブをかけるとかね。ジングルなんかは彼の手にかかればまったく違うものになってしまって、みんな「なんてひどいエンジニアだ!」とか思ったわけだけど、僕はすごく好きだったね。 彼はそのまま独力でパーソナリティになり、プロデューサーになった。マイキー・ドレッドを忘れている人が多いけど、彼を忘れちゃいけない。ラジオの世界、現代のラジオパーソナリティやDJ音楽の分野でとても重要な役割を果たした人物だよ。すごく重要な人物で、過小評価されるべきじゃない。

ダブがエンジニアをクリエーションの中心に据え、彼らを個性ある、自立したアーティストにしたわけですね。では、マッド・プロフェッサーの特徴をどうですか?ジョン・ピールが以前、あなたは、アルバムでは突拍子もないアレンジをするけど、電話で話してみると結構まともだ、と言っていました。コントロールされた狂気、それがマッド・プロフェッサーの特徴ということになるでしょうか?

何らかの特徴を理解するには、アルバムを何枚か聴いてみないといけない。特徴を捉えて、形容するのはリスナーだ。僕が自分で説明する必要はないよ。自分について語るとなると、正確に答えるには主観が入り過ぎてしまう。でも、多くの場合で、エフェクトを限界までかける癖があるというのは事実だね(笑)。

自身のスタジオを立ち上げた当時、あなたはエンジニアでしたか?それともクリエイティブエンジニア兼アーティストだったのでしょうか?レコーディングにやって来たバンドは、あなたから音楽的なインプットを得ようと積極的でしたか?

最初の頃は、各自の役割が明確にありました。エンジニアはエンジニアであって、ミュージシャンになろうなんて考えもしなかったんだ。町でいちばんのミュージシャンを呼んだとしても、自分は演奏しなかった。自分の持ち場をわきまえなければならなかったんだ。当時から状況は随分と変わったね。今では曲の全パートを演奏するミュージシャンもいるし、みんなそれを素晴らしいことだと考えている。でも、かつてはシンガーでありかつソングライターでもあるということはなかった。作曲家、エンジニア、プロデューサー、ミュージシャンを集めて、それぞれが自分の役割を果たしていたんだよ。

キャリア初期に好んで使用していた機材はどんなものでしたか?

ここにあるものとあまり変わらないね。最初のスタジオでは、自分で組み立てたミキシングデスクとTASCAMの4トラックマシンを使ったよ。ごく普通の、アナログの4トラックさ。エフェクトに関しては、テープマシン、ディレイとして使っていたReVox G-36、それから自作したリバーブ。それで全部だよ。このテープマシンはとても高価で、当時ほとんどの人はどこに売ってるのかも知らなかったよ。今もそうなんだけどね(笑)。今もとても高価だから、全部大事にしているよ。もう売ってる店がないから、買おうとしても買えないんだよ。

70年代後半からずっとアルバムをリリースしているわけですが、デジタル録音をどの程度取り入れてきたのですか?アナログとデジタルで大きく違うのはどういった点ですか?

僕のスタイルは僕のスタイルだ。今でも最新のトレンドにはある程度影響されるけど、必ずしもそれをフォローするわけじゃない。いま何が起こっているかは欠かさずチェックしているけど、そうしたスタイルをフォローするとは限らないんだ。今でもテープマシンやアナログ機材を使うよ。新しいものをチェックはしていても、それらをすべて使ったりはしない。良いと判断したものだけ取り入れるようにしている。デジタル機材もいくつかあるけど ― 息子はデジタルをよりたくさん使うけど、僕はそんなに使わないな。大きな違いは、アナログの音にはいくぶん温かみがある点だと思う。デジタルだと作業がとても便利だ。スペインやカナダにいるミュージシャンとレコーディングして、それをすぐにEメールで誰かに送ることもできる。アナログ録音だと、テープに録音するから郵便局に行かなきゃならないからね(笑)。アナログとまったく同じ音にはならないけど、デジタルの素材はすぐにダウンロードできるから、録音をスピーディに済ませたいなら確実に分があるね。

では、あなたの音楽について伺いたいと思います。最初は『Dub Me Crazy』シリーズ、次に『Black Liberation』シリーズと、シリーズ作品を多く手掛けられている印象があります。そこで、これらのシリーズの背景にあるコンセプト、そしてあなたの作業のやり方についてお伺いできればと思います。

『Dub Me Crazy』は、エフェクトという点でダブの大きな可能性を示したシリーズだったと思う。僕たちは、エフェクトをどれだけクレイジーにできるか、そして感性とリスナーを刺激するために創造性をどれだけ発揮できるかを示そうとしたんだ。例えばあるフレーズが続いていて、突然こんな感じに[意図的にボソボソとつぶやく]なったかと思うと、また突然「バーン!」となって、続いて次のトラックが「ア~!」と始まり、リバース、エコー、リバース、リバース……といった具合に続いていく。

極端な方法で、機材の限界を押し広げたわけですね。

そう。これらはすべて、リスナーの関心を釘付けにすることになる。次に何が起こるか分からないからね。崖の端、もう落ちそうというぎりぎりのところまで連れて行くといった感じかな。

『Black Liberation』シリーズについてはどうですか?

あれはより政治的な、黒人としての自意識に関わるものだった。僕たちはダブ・ミュージックにそういった雰囲気があると感じていた。あれは黒人全体やネルソン・マンデラその他の人々に対するサウンドトラックのようなもので、音楽を通して黒人としての自意識のポジティブな面を見るよう訴えかけたくて「このシリーズをやろう」と考えたんだ。

今はどうでしょう?「Black Lives Matter」運動や今起こっているさまざまな問題に対して、もう一度『Black Liberation』シリーズを始めてもいいと思いますか?

今もたくさんの問題がある。そうだよね?君は、アーティストがメディアやそういうものに対してちょっと怒っているという印象を持っているわけだ。だから、そうしたニーズは常にある。僕は今の段階ではまったく考えてないけどね。でも、可能性がないわけでは決してないよ。アリワは黒人としてのアイデンティティをはっきり意識したレコード会社だ。それが僕たちの基底的なテーマなんだ。

アリワがプロデュースした数多くのレコードの中に2枚の『ランキン・アン(Ranking Ann)』のLPがありますが、これは作品の女性DJにちなんで名付けられています。当時は女性MCをプロデュースしてレコードを作ることや、あの頃問題になっていて、今なお問題であるようなトピックを取り上げることは大変なことでした。つまり、あなたのレコードにはもちろん技術的な面もありますが、音楽には常に社会的な側面もあるように思えるのですが。

まったくその通りだよ。ランキン・アンとの作品は、いうなれば非常に「レゲエ左派」的なものだった。レゲエはもともと音楽の中でも左派に属するけど、これはそのレゲエの中でも左派的だった。みんながあまり語らないようなトピックを取り上げていたからね。それらのいくつかがまだ重要だという事実が、今なおそれらについて語る必要があるということを証明している。人々は依然として人種主義、不公正を叫んでいる。今や女性たちも「MeToo」運動で声を上げた。多くの男たちが実にひどいことをやっていたよ。自分たちの地位を利用して、女性を性的に搾取していたんだ。とても差別的なやり方でね。実のところ、そうしたことはまだほとんど公になっていない。昔は、地位を利用して誰かを人種的に、あるいは性的に搾取する人がいるという事実は完全に伏せられていたんだ!それはフェアじゃない。そうしたことが示しているのは、僕らが80年代の初めにレコードでやったことは絶対に必要だったということだ。虐げられた人々の声を届ける必要があった。
ランキン・アンの歌詞にはそういったことが歌われていたんだ。けれど、誰も女性MCについて話したりしなかったし、BBCをはじめ、誰も彼女の曲を紹介しようとはしなかった。急進的過ぎると考えたんだ。3、4年後にはみんな聴きたがったけど、81年や82年にはまったく取り上げられなかったね。送ったレコードは全然使ってもらえなかった。『A Slice of English Toast』や『Something Fishy Going On』のトラックリストを見てみれば、「解放された女性(Liberated Woman)」、「移民計画(Immigration Plan)」なんて曲がある。しかもこれらの作品は、現在にも通用するコンセプト、ボーカル&ダブの始まりでもあるんだよ。そこで普通の10や12曲入りのアルバムじゃなくて、ボーカルとダブ、サブダブを入れた6、7曲入りのショートアルバムにした。これはうまくいったと思う。シンガーやDJがなんかフレーズを入れて、その後ちょっと休むといった感じでね。

90年代前半にはダブがメインストリームになり始め、シャーデーマッシヴ・アタックのリミックスを手掛けました。それについて伺いたいのですが。そうした移行はどのようなものだったのでしょうか?彼らがあなたにリミックスを依頼したのはなぜでしょうか?

彼らがどうして僕に依頼したのかはよく分からないよ。彼らに聞いてみなきゃいけないだろうね(笑)。僕はただ、自分の小さなスタジオで自分の仕事をしただけさ。ここを使い始めたのは86年の終わりだから、90年代にはもうここにいて、地元のアーティストとレコードを作っていた。みんながそれを知って、僕のところにやってきたんだ。なんで他の誰かじゃなくて僕だったのか、それは分からない。だけど彼らはやって来て、いくつか素晴らしいレコードを作ることができた。ジ・オーブとか、メインストリームのアーティストがたくさん来たよ。彼らは曲をより多くの人にとって受け入れやすいものにする、エキサイティングなものを探していたんだと思う。「レコードがダブっぽくなるように、ミックスとリミックスを誰かにやってもらおう」と思ったんだろうね。90年代の初めには、ダブを作ったり理解できる人はそんなにいなかったと思うから、たぶん僕の名前がしょっちゅう上がったんじゃないかな。「サウスロンドンに行ってマッド・プロフェッサーを探そう、彼なら何かやってくれる」ってね。実際、その期待に応えられたと思うよ。

当時はジャマイカの方がダブが盛んだったからですよね?

ジャマイカでダブが盛んだったのは70年代後半までだよ。ジャマイカは70年代にダブに飽きてしまって、それ以降はやらなくなってしまった。それからすべてがロンドンに移ったんだ。世界最大のレゲエシーンは、長い間イングランドだったと思う。ボブ・マーリーたちがヒット作を次々を制作していた60年代や70年代でさえ、レゲエ業界をけん引していたのはロンドンだった。そうした役割が十分に評価されたことはないと思う。主流メディアはあまり支持しなかったけど、ロンドンにはレゲエを扱ってたクラブやレーベルがかなりあった。このことはもっと評価されるべきだった。ヒット作を手掛けたジャマイカ人プロデューサーはみんなロンドンに来なければならなかった。リー・ペリーバニー・リージ・オブザーバーズなんかはみんな、自分の作品をロンドンから世界へと送り出してくれる協力者を求めてやって来たんだよ。

メインストリームのアーティストのリミックスが増えるにつれて、ダブはより注目されるようになりました。ボブ・マーリー以外は何も知らないという人もきっといたんじゃないでしょうか。

まさしくその通りだよ。僕たちは反対側の世界の住人で、アンダーグラウンドからメインストリームへと移ろうとしていた。それには長い時間がかかったよ。楽曲の利用について、人があまりとやかく言わなかったというのもある。多くの場合、文句を言わなければみんなそれで問題ないと考えるんだ。レゲエアーディストの多くはクレームを付けない。ただ「やった、クラッシュが僕らの音楽を気に入ってくれてる。ビートルズもレゲエが好きなんだ」と思うだけで、それに不平を言ったりはしないんだ。「なぜ彼らは世界的にヒットして、僕らはそうならないんだろう」という風には考えない。純粋な音楽として、訴える代わりに模倣者たちを称賛する。彼らが自分たちの音楽をカバーすることを、とても喜ばしく名誉なことだと考えるんだ。フェアであることは大事だし、良い音楽は最もフェアなところに生まれる。だから模倣者たちは彼らをカバーするわけだ。

他のアーティストの音や音楽を手掛けたことで、自身のクリエイターとしての表現にはどのような影響があったのでしょうか?それから何を学びましたか?アーティストやバンドは何を期待してあなたのスタジオにやって来ると思いますか?

プロダクションに関して言えば、英国の基準はとても高い。あるトラックにどんなマイクやリバーブが使われているか、聴いてみると面白いよ。だから、メジャーレーベルのトラックをミキシングすることで、最新のテクニックやスタジオ、テクノロジーについて学ぶことができる。アリワに来るアーティストやバンドについてだけど、彼らは最高品質の録音を期待している。最高の音を求めてるんだ。

現在の状況についてはどうですか?今は息子さんたちと仕事をされていますが、その中で学ぶことはありますか?彼ら新しい世代のダブ・プロデューサーたちに期待することは何でしょうか?

僕は常に若者たちから学んでいるよ。彼らのアプローチは僕と違っていて、物事を技術的に理解する。それは素晴らしいことだ。僕よりもデジタルの世界を良く理解していて、物事をすぐに見聞きすることができる。世界に向けて発信する場合、多くの場合デジタルで発信することになる。そうした感覚が必要になるんだ。若者たちは、僕にはできない方法で巧みに物事を変換できる。Pro ToolsやLogicといったものを理解できる。音楽では技術的な面、音楽的な面、そしてビジネスの面の3つの側面を考えなければならない。これらを念頭に置いて物事を進めない限り、何も起こらないんだ。だから新しい世代にこうした要素がどれくらい揃っているか、もう少し見極めないといけない。

新しいテクノロジーによって、作業方法は大きく変わったと思いますか?

僕に関してはそう思わない。このスタジオは30年前から大して変わってないよ。特にこの部屋はそうだ。もっとコンピューターを活用してる部屋もいくつかあることはあるけどね。

これまでプロデューサーとしての作品について伺ってきましたが、あなたはDJでもあります。レコードを集めたり、純粋に音楽を聴くこと自体を楽しんだりすることはありますか?

最初の頃はレコードしかなかったから、選択肢はなかった。好きな音楽を買って集めたよ。純粋に音楽だけで集めていたわけじゃなくて、好きなレーベル、好きなアーティスト、好きなプロデューサーのレコードを何年もかけて集めたんだ。モータウン、トレジャー・アイル、チャンネル・ワン……これまでは、そうしたレーベルのもので自分が持ってないレコードがあればすぐに手に入れていた。でも、もうそんなに収集には力を入れていないな。もうすでにたくさんのレコードを持っているし、まだかけていないものもたくさんあるんだよ。それらは絶対にかけてみるつもりだし、いつか自分のPCに移そうと思っているんだ。

今年の計画はどうなっていますか?マッド・プロフェッサーとアリワの次回作は何でしょう?

今年も、レーベルの育成とレコードのリリースを続けるだけだよ。次の作品は、レゲエによるアレサ・フランクリンへのトリビュートなんだ。彼女の作品を6曲か7曲選んで、レゲエスタイルとダブスタイルにアレンジするんだけど、それが来年最初にリリースする作品の一つになるよ!

記事・写真:Hélène Peruzzaro

マッド・プロフェッサー (Mad Professor)

英国人。ダブ・ミュージックのプロデューサー兼エンジニアで、独創的なプロダクションとリミックス作品で知られるダブ・ミュージックの第2世代の主導的プロデューサー。ダブのデジタル時代への移行に重要な役割を果たした。リー・“スクラッチ”・ペリー、スライ&ロビー、パト・バントン、ジャー・シャカ、ホレス・アンディといったレゲエアーティストをはじめ、シャーデーやマッシヴ・アタック、ジ・オーブ、ブラジル人DJのマルセリーニョ・ダ・ルア、グレイス・ジョーンズ、ペリー・ファレルなど、従来のレゲエやダブのカテゴリー以外のアーティストともコラボレーションを行っている。

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