What does “Analogue” Mean to You?

In Conversation With Russell Elevado Hosted By Eric Lau

“すべて変わっていく。それを守るためにアナログ・ファウンデーションがあるんだ。”

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01

Analugue is...

いつもレコードの音自体を聴いていたね。誰がエンジニアで、誰がプロデュースして、バンドのメンバーは誰なのかチェックして、「オーケー、ジョン・マクラフリンがマイルス・デイビスと一緒にやってるのか」なんてチェックしていた。

エリック・ラウ : 皆さんこんばんは。ジャイアント・ステップへようこそ。ここはアナログ・ファウンデーションとブリリアント・コーナーズ (Brilliant Corners) が協力して生まれた特別にカスタムしたサウンドシステムのある場所です。今回は皆さんをこの場にお迎えできたことを嬉しく思います。そろそろイベントを開始しますね。どうぞご自由に席についておくつろぎください。

アナログ・ファウンデーションはオーディオテクニカ発のプロジェクトで、その理念はアナログの未来を創造することです。アナログ・ファウンデーションが目指す姿を完璧な言葉でミッション・ステートメントにするのは難しいのですが、このプロジェクトはまだ始まったばかりであり、こうした一連のイベントを通して、数値化できないエネルギーから生まれるものを何でも取り入れていきたいと思っています。それは、アナログでのレコーディングであったり、テキスタイルやテーラリング、食べ物だったりと、私たち皆が愛している数値化できないエネルギーを含んでいるものなら何でも構わないのです。私たちは人々のリアルなストーリーを通してそれらの価値を伝えていきたいと思っています。アナログ・ファウンデーションの土台にはそうした考えがあり、このようなイベントを通して私たちの生活や技術に対する知見を伝えていきたいと思っています。皆さん、ご来場いただきありがとうございます。今夜は幸運なことにラッセル・エレヴァード氏をお招きしています。私にとって、現代における最も偉大なエンジニアの1人です!それでは、ステージに登場してもらいましょう! 

ラッセル・エレヴァード : 皆さん、こんばんは。今日は来てくれてありがとうございます。やあ、来られて嬉しいよ。

エリック・ラウ : 元気だった?Spiritland以来だから、1年ぶりくらい?

ラッセル・エレヴァード : もう1年も経つのか(笑)。元気だよ。忙しくしているよ。

エリック・ラウ : 今日はいろいろ深く掘り下げていきたいと思います。ディスカッションの場にしたいとも思っているので、これからインタビューを始めますが、内容に関して何か付け加えたいことがあれば、客席にマイクがあるはずなので遠慮なく質問してくださいね。また、具体的な質問がある場合は、最後にそのための時間を設けます。皆さんからの貴重なご意見は大歓迎です。

ラッセル・エレヴァード : その通り。

エリック・ラウ : 僕はさっきアナログ・ファウンデーションの共同設立者として、その理念について少し話したけど、最初の一歩を踏み出したという意味で、こうした形で音楽の仕事を始めたのはいつ頃から?声がかかるようになった頃についても教えてくれる?

ラッセル・エレヴァード : 声がかかるようになった頃?そうだね、11歳でギターを弾き始めてすぐ弾けるようになったんだけど、とにかくいつも音楽を聴いていた。5歳の頃からプレゼントにはいつもアルバムをもらっていたよ。音楽に夢中の年上のいとこがたくさんいて、いろんなジャンル、モータウンを聴くいとこも、レッド・ツェッペリンやビートルズを聴くいとこもいた。だから、子どもの頃から幅広いジャンルに馴染みがあったんだ。 ギターも弾き始めたけど、いつもレコードの音自体を聴いていたね。誰がエンジニアで、誰がプロデュースして、バンドのメンバーは誰なのかチェックして、「オーケー、ジョン・マクラフリンがマイルス・デイビスと一緒にやってるのか」なんてチェックしていた。それで、レコードの中にJジョン・マクラフリンの名前を探すようになった。そんな風に突き詰めていったんだ。本当は16歳の時に高校を中退してエンジニアの学校に行きたかったんだけど、その学校に行くには卒業証書が必要だったから「高校は卒業しよう」と思って。それで、19歳の頃にニューヨークにあるInstitute of Audio Researchに通い始めた。卒業する前にインターンを始めたんだけど、ちゃんとしたスタジオに足を踏み入れた時、「これだ!」と感じた。コンソールの後ろに座って、自分に何ができるかを目にしてね。これだと思ったよ。僕はガラスの向こう側にいるべきなんだと。その逆側ではなくてね。だから、幼い頃から自分が何をしたいのか分かっていたんだ。

エリック・ラウ : その当時のご両親の反応は?

ラッセル・エレヴァード : 両親は僕が音楽にのめり込むことを全く望んでいなかったよ。(両者笑)。両親はともに会計士だった。父親は楽器を演奏していて、キーボードやトランペットなんかもやってたけどね。

エリック・ラウ : …そうなんだ。

ラッセル・エレヴァード : だから家にはいつも音楽はあったんだけど、両親が僕に音楽の道へ進むことを望んでいたとは思えない。もっとカジュアルな、普通の仕事か何かを選んでほしかったんだと思うよ。

02

The Beginning

彼らにいいアイデアが生まれたら、それと同時に僕はディレイをかけたり、ローズにフェイザーをかけたりして、それが彼らにもっと追求するインスピレーションを与えたり、こんなことをしてみようというアイデアを与えたりした。あれは、アイデアや音楽、サウンドを追求する真の共同体だった。

エリック・ラウ : ああ、分かるよ。僕も同じだから。その当時大変だったことはある?スタジオの仕事に下っ端として入って、どんな仕事を?見習い期間がどんなものか一般的に知られてないよね。

ラッセル・エレヴァード : 今ではもう師匠から学ぶという徒弟制度のようなものはなくなっているけど、僕は下っ端から始めてアシスタントのポジションを築いていった。エンジニアの仕事をするようになるまで5年ほどアシスタントをして、本当にエンジニアになるまでさらに1年ほどかかったかな。エンジニアのアシスタントをしている時に自分の方が上だと感じて、もう何も学ぶことはないと思った。それである日、もし食えなくなってもいいやと思って、まあ実際にそうなったんだけど(笑)、とにかく誰かのアシスタントはもうしないと決心した。全然満たされていなかったからね。もうアシスタントはしない!と決めて、1年半ぐらいお腹を空かせてたよ(笑)。でも、少しずつだけど確実に上手くなっていって人に感動を与えられるようになった。当初はハウスミュージックをたくさんやって経験を積んだんだ。

エリック・ラウ : 本当?それは初耳だね。

ラッセル・エレヴァード : よく手掛けていたのはフランキー・ナックルズやデヴィッド・モラレス。初期のエンジニアリングの仕事はほとんど彼らの作品だね。

エリック・ラウ : そうだったね。

ラッセル・エレヴァード : チャカ・カーンやマドンナのリミックスもやったし、まだ20代の頃だった。

エリック・ラウ : すごい。

ラッセル・エレヴァード : 他のジャンルにもハマっていくようになって、それが大いに役立った。でも、そうした初期の仕事がどれほどの影響を与えたのかあまり自覚していなかったんだ。あれはダンスミュージックであって、僕が興味を持ち始めていたのはソウルやジャズだったから。でも、彼らの楽曲制作の進め方は後に影響を与えてくれたよ。エフェクトをかけたり、素早く判断したり、ベースをタイトにしたり、一緒に仕事をして学ぶことは本当に多かった。

エリック・ラウ : それは大きいね。

ラッセル・エレヴァード : デヴィッド・モラレスが「あのキックドラムの音はバスケットボールみたいだ」と言っていたのを忘れられないよ。体育館でバスケットボールをドリブルする時のあの音だよ。だから、「僕のキックドラムはドリブル音みたいじゃないといいけど」といつも思っていた。あれは衝撃的だったけど、そこから自分のポジションを築いていったんだ。ヒップホップのリミックスを手掛け始めて、DJ・クラーク・ケントやSupermen Productionsともよく仕事をした。彼らはR&Bやヒップホップのリミックスをいろいろやっていて、彼らと一緒に活動しているうちに多くの人が僕の作品を聴くようになった。そこからいろんなことが続いたよ。

エリック・ラウ : つまり、自分に音楽を聴く耳があることに気づいて、アシスタントとしてサポートしている人たちよりもうまくミックスできる自信を持つようになったということだよね。アシスタントからリードする立場に変わってしばらく空腹が続いたとのことだったけど、君には独自のサウンドがあると言われるようになったのはいつ頃からだった?その段階から自分のサウンドがあると感じていた? 

ラッセル・エレヴァード : そうは思わないな。でも、みんなはトラックからある種のエネルギーを感じ取っていたんだと思う。低音域も良かったし、ドラムも強烈にスラミングしていた。当時僕の音を特徴づけていたのはそれだけだったと思う。でも、ディアンジェロと仕事をするようになってから、みんなに特定のサウンドに気づいてもらえたと思う。

エリック・ラウ : じゃあ、アーティストやプロデューサーとやり取りする中で、エンジニアとして心がけていることは何かある?そうしたスキルはどのように身につけた?あと、若い人たち、同じ道を志す人たちにとって、何か良いと思うことはある?エンジニア、特にミックス・エンジニアとしてアーティストとコミュニケーションを取る上で重要な要素とは何だと思う?

ラッセル・エレヴァード : 一般的なことを言えば、セッションで一番重要なのはアーティストとプロデューサーにできるだけ快適でいてもらうことだと思う。だから、環境作りをするんだ。例えばエリカ・バドゥの時はあちこちにキャンドルを置いたんだけど、文字通り、部屋に50本くらいキャンドルを置いて、灯りはそれだけだった。彼らが何を求めているかを理解しようとすること。あとは、事前にアーティストの過去についてリサーチしておくことだね。僕はアーティストのことを本当によく知ろうとするんだ。「あまりにも心の奥底まで入ってくるから、最初はどうやって付き合えばいいか分からなかった」と後で言ってきたアーティストもいたよ。音楽の方向性を探るためにかなりパーソナルな質問もするね。

エリック・ラウ : 誰かの音楽にそこまで深く関わろうとするのは、エンジニアとしては珍しいことだね。

ラッセル・エレヴァード : ああ、彼らは心から信頼してくれるよ。

エリック・ラウ : そうだろうね。

ラッセル・エレヴァード : 誰か他の人を選ぶこともできただろうし・・・特にアルバム全体となるとね。本当に特別なことだし、次の最高のアルバムを手掛けるつもりで取り組むんだ。前のアルバムと同じような音にはしたくない。どのアルバムも、どのアーティストも、それぞれ特別なやり方で取り組むようにしているよ。

エリック・ラウ : 素晴らしい。ミキシングの哲学みたいなものかな。レコーディングの工程と言う点では、ダンスミュージックやR&B、ヒップホップを手掛けていたということだけど、アルバム全体のレコーディングを依頼されるようになったのはいつ頃から?

ラッセル・エレヴァード : それは間違いなく『Voodoo』の後だよ。あれは僕のカミングアウトであり、運命的なアルバムだった。ディアンジェロは何でも自由にやらせてくれたから、あれはエンジニアにとって夢のようなアルバムさ。でも、『Voodoo』のコンセプトについては、アルバムの話が具体的になる何か月も前からよく話していたんだ。実際『Brown Sugar』の時から話していたね。

エリック・ラウ :なるほど。

ラッセル・エレヴァード : ミキシングを始めてからは、「ヴォ―カルにディストーションを加えてみよう」という感じで、やりたいアイデアを全部彼に伝えたんだ。するとディアンジェロが「ボブ・パワーがやったようにしてみよう」と言ってくれた。アルバムに一貫性を持たせたかったからね。「もっと教えてよ。次のアルバムではそれも試してみよう」とも言っていたね。だから、『Voodoo』の何年も前に、リッチモンドにいる彼を訪ねていろんな話をしたよ。あ、ちょっと話が逸れたね(笑)。質問は何だった? 

エリック・ラウ :レコーディング全体を任されるようになったのは・・・

ラッセル・エレヴァード : そうそう。

エリック・ラウ : ミキシングの工程だけじゃなくて。

ラッセル・エレヴァード : 当時のコンセプトは、ジェームズ・ブラウンやら他のミュージシャンやら、みんな70年代のレコードからサンプリングをしていた。だから僕は思った。「あのサウンドは僕なら出せる」と。それで、60~70年代に用いられたテクニックを研究し始めた。つまり、子供の頃に好きだったアルバムや曲を真似しようとしたんだ。現在の忠実度を持ってそれを自分のものにしようとしたから、もっと低音を出せたんだ。自分の力を証明するチャンスでもあったし、今ならこれをもっといい音で再現できると示すチャンスでもあった。僕の力が認められるようになったのはその後だったと思う。

エリック・ラウ : 古いレコードを研究して、より忠実にそのサウンドを出せるという自信を持ったということだけど、それは『Voodoo』のセッションの最初の方だった?それとも自身がすでにそれを行っていたということ?

ラッセル・エレヴァード : そうだね、自分でもやっていたよ。スタジオにこもってミュージシャンの友達を呼んで、マリファナをガンガン吸いながらいろいろ試しにやってみた。何時間もレコーディングして、いつもそんな感じだったよ。

エリック・ラウ : 実験したり時間を費やすことで自分のサウンドを見つけたという感じかな。

ラッセル・エレヴァード :そうだと思う。彼らジャズミュージシャンと知り合いだったのは本当に幸運だった。ティト・プエンテのサックス・プレイヤーだったマリオ・リベラがジャズ仲間を連れてジャムセッションをしてくれた。次のセッションに備えて出来る限りいろんなマイクを試してみたりもしたんだ。そこにディアンジェロが現れて言ったよ。「これだよ。これで行こう」ってね。

エリック・ラウ : じゃあ、準備万端だったわけだ。

ラッセル・エレヴァード : 完璧にね。

エリック・ラウ : それはすごい!では、今の時点で何か発言したい方はいますか?

観客からの質問:まず、ディアンジェロやコモン、他のアーティストについても、あなたが手掛けた仕事には本当に感謝しています。

ラッセル・エレヴァード :それは光栄だね。

観客からの質問:音楽に対する感情的な理解が技術的な理解を上回った画期的な瞬間はありましたか?例えば、楽曲のミキシングの際に、「リバーブを何デシベル上げる必要がある」というようなアプローチをとるのに対して、「ああ、それすごくいいね」というようなアプローチをとるという感じです。

ラッセル・エレヴァード : そうだね。『Voodoo』の時はかなり直感的にあまり何も考えずにやっていたと思う。彼らはトラッキングルームで何時間もジャムして、僕はエフェクトをかけるという、すごくオーガニックなプロセスだったよ。そうしたジャムセッションから今あなたが聴いている曲が生まれたんだ。彼らにいいアイデアが生まれたら、それと同時に僕はディレイをかけたり、ローズにフェイザーをかけたりして、それが彼らにもっと追求するインスピレーションを与えたり、こんなことをしてみようというアイデアを与えたりした。あれは、アイデアや音楽、サウンドを追求する真の共同体だった。でも、僕が曲をミックスしている時に、その場にいないことがあったのは確かだ。今日に至るまで - - 特定の曲?

あのサウンドをどのように手に入れたのかは分からないね。ザ・ルーツの楽曲には狂ったように実験していたものがたくさんあるし、どうやってあのサウンドを出したか見当もつかない。分かればいいんだけど・・・

・・・でも、その時は完全に集中していたし、ただ直感的にそれが正しいと思ったんだ。

エリック・ラウ : じゃあセッション中に・・・これは僕が知りたいだけの勝手な質問だけど、『Voodoo』に収録されたトラックはレコーディングされた音にどれほど近かった?(観客に向けて)レコーディングの段階では最高のモノを生み出したいと思うのは当然のことだけど・・・

ラッセル・エレヴァード : ああ。

エリック・ラウ : ミキシングした時はどのくらい(最初のレコーディングから)離れてた?

ラッセル・エレヴァード : いい質問だね!それまでプロジェクトに関わったことがなかったから、最後は本当に大変だった。『Voodoo』を完成させるのに3年かかったけど、最初の1年はレコーディングだけで、ミキシングなんてまったく考えてなかった。トラッキングに次ぐトラッキング、いろんな実験、アイデアを書き留める、それの繰り返しだった。でもその時点でサウンドがクールなことは分かっていたからEQは何もしなかった。僕にとっての課題の1つはEQもコンプレッションも無しですべてを録音して、素晴らしいサウンドになるまでマイクを移動させることだった。そのための時間はあったし(笑)、微調整する時間もあった。でも、EQに触らないことが自分に課した課題だったんだ。適切なマイクとマイクポジション、そして適切なマイクプリとレベルにこだわった。だから、ミキシングの段階になってディアンジェロやそれを聴いた他のみんなと同じように分かっていた。そこから大きく外れることはできないと分かっていたんだ。だから、ある時点から手を加えるのをやめて、ありのままにしようと思った。3年目ともなると同じ曲を何度も聞いていて集中し続けるのは難しかったよ。音響的にどうしたいか既に考えていたし、もう先に進みたいと思っていた。でも、サウンドは最高だったから、そこに留まるべきなのは分かっていた。頭の中は次にやりたいことでいっぱいだったから、本当に大変だったね。

エリック・ラウ :既に得たものに集中するのはかなりのコントロールが必要だということか。レコーディングの工程ではエネルギーを感じられるステージにまで持ってこれたんだよね?それで、ミキシングではそれをよりコントロールしていたと。

ラッセル・エレヴァード :ああ、ミキシングの多くはディアンジェロのヴォーカルをブレンドする作業だった。ある曲、たとえば『The Root』なんかは40ものヴォーカルが入るんだ。当時としてはかなり多かった。今では40チャンネルのヴォーカルが入るセッションは日常茶飯事だけど。当時はかなり珍しくて、彼は何度も録音を重ねて・・・それでミキシングの多くは彼のヴォーカルをブレンドするだけだった。

エリック・ラウ : 彼のヴォーカルと言えば、トラッキングとマネージメントの話をしたけど、彼は自分でトラッキングしたの?それとも君が?

ラッセル・エレヴァード : ヴォーカルは一緒にやっていたけど、それもしばらくの間だね。『Brown Sugar』の時は、彼はすべてのヴォーカルを自分でやっていたから。だから、彼がある日僕のところに来て、「自分でヴォーカルをやってもいいかな?そのほうが早いし、どのセクションなのかを伝える必要もないし・・・」と伝えてきたんだ。だから、テープマシンのパンチの入れ方とか、コンソールの使い方とか、全部教えたよ。彼はそんな風にすべてのヴォーカルを1人で担当した。

03

About Music Creation

いつも何とかやる方法を探ってみるんだ。たとえできなくてもね。イエスと言って、やってみる。

エリック・ラウ : それと、マネージメントという点で聞いてもいいかな。(観客に向かって)皆さんの中にプロデューサーやエンジニアはいますか?何かしら音楽制作をやっている方は手を挙げてもらえますか?何人かいますね。アナログボードやデスクでのミックス経験がある人は?かなり少ないですね。では、それをマネージメントするという意味では?

さっき40のヴォーカルという話が出たけど、デジタルの世界ではとても簡単で、プラスボタンを押してオーディオ・トラックを作ればそれが1つになる。それを40回繰り返すだけ。

それをまとめて名前を付ければいい。デジタルならあっという間だ。つまり『Voodoo』のことだけど、マネージするという概念があって、君が話したように40のヴォーカルトラックがある場合、カマシ・ワシントン (Kamasi Wasington) や他の音楽と比較して、他の音楽でもそうだけど、管理はどういったプロセスだった? 

ラッセル・エレヴァード : 『Voodoo』を手掛けていた当時はまだPro Toolsが無かった。Pro Toolsはちょうど『Voodoo』が終わりかけた頃に登場したんだ。僕はPro Toolsは嫌いだった。特に当時は、サウンドも何もかもね。だいぶ良くなったけど当時はひどかったよ。と言っても3曲はPro Toolsで編集した。ライブ・テイクでセクションをカットする必要があったし、Pro Toolsを使うのが一番簡単だったから。そんな風に何曲かマルチトラックテープを繋ぎ合わせた。中にも複雑すぎて無理な曲もあったけど、Pro Toolsが助けてくれた。Pro Toolsを使った編集は本当にすごいよ。サウンドを改善することができただろうけど、出来上がったものにいろいろと手を加えて、さらに良くなったね。マネージメントに関しては、当時はテープマシンが2台あって、24トラックに対応するテープマシンが2台だったから、全部で48トラックだった。

当時はそれしかなかったから、トラック数がもっと必要ならその曲の中にスペースを見つける必要があった。「コーラス部分ではタンバリンは鳴ってないから、タンバリンが鳴ってないところにギターパートを入れよう」とかね。だから、トラック1のテープにキックドラム、ヴォーカルパート、ベースパートを入れることもあるんだ。

エリック・ラウ : なるほど。

ラッセル・エレヴァード : そうするとテープ全体がサウンドで埋め尽くされる。だから、同じトラックに2、3回パッチをあててベースが鳴っている時は他のパートをミュートするよう自動化して、それからタンバリンが入ってきたら、今度はベースをミュートにする。タンバリンのトラックを開いてそのすべてをボード上で作業する必要があった。

エリック・ラウ : (観客に向かって)みんな、今の聞いた?

ラッセル・エレヴァード : (笑)ヴォーカルの場合、あれだけの数のヴォーカルがあるとどうなると思う?2つのマルチトラックのリールを同期するためにディアンジェロが2つのリールを同時に動かさなくてもいいよう、タイムコードと呼ばれるものを使うんだ。両方のテープもタイムコードを合わせて同じ瞬間に正確に録音する。それからシンクボックスを使って、この2つのタイムコードトラックをミリ秒かマイクロ秒単位にロックする。こんな感じで2台のマシンを同時に動かしてるんだ。48トラックのマシンがない場合は、それしか方法がなかった。

でも、何年もの間そうするのが当たり前だった。24トラックが登場してからはみんな2台のマシンをロックするようになったから、90年代から2000年代にかけてはずっとそれが標準だったんだ。1台のマシンに収録されたすべての演奏をミックスして、もう1台のマシンにサブミックスした。ディアンジェロは2つのトラック、ステレオトラックをミックスしたものがあって、残りのトラックでヴォーカルを重ねるようにしてもらった。だから、彼がそれを使い切ったらもう1台マシンをロックして、既に録ったヴォーカルをバウンシングしてそのトラックを使えるようにする。そうすると、彼はもう1台のマシンをほぼフルに使えて、あと20トラックぐらいヴォーカル用に残せるんだ。でも、彼は素晴らしいシンガーだから僕はそれでも良かった。もっとヴォーカルをやりたければ、やってみればいいと思ったよ。アナログの世界では確かに難しいところがあったね。

エリック・ラウ : それに2つ付け加えると、ディアンジェロのようなアーティストが「もっとヴォーカルを重ねたい」と言ったら、エンジニアの役割としたら「大丈夫だよ」と言うことだよね。

ラッセル・エレヴァード :その通り。

エリック・ラウ :「もちろん出来るさ、ぜひやってみよう」と。

ラッセル・エレヴァード : 絶対にノーとは言わない。

エリック・ラウ : 絶対にノーとは言わない。

ラッセル・エレヴァード : いつも何とかやる方法を探ってみるんだ。たとえできなくてもね。イエスと言って、やってみる。(会場笑)

エリック・ラウ : ほんとにそうだね。あともう一つ。アナログな工程ではコミットする必要がある。だから、ディアンジェロがボーカルとして20もバックコーラスを入れて、そのサウンドが最高だったらそれでいけばいい。

ラッセル・エレヴァード : その通り。今はそうするのが大事だし、今でもクライアントにはそうしている。ある程度リビジョンできるようにしているけど、当時はスタジオの使用料もかかったから、時間を予約して仕事をやり遂げる必要があった。時間制限はあるし、スタジオ代はかかるし、予算を大幅にオーバーしたりして、時間は刻々と過ぎていく。だから、みんなその場で決断していた。

なぜなら、僕らはそれをリコールと呼んでいるんだけど、エリカ・バドゥがヴォーカルに変更を加えたいと言ってくると、2週間後くらいにリビジョンをしてその曲をリコールすることになるんだ。当時はセッションが終わると、アシスタントはペンと紙を使って機材の図と一緒にすべてのセッティングを書き留めなければならなかった。すべてのノブも1枚の紙に書き留めたんだ。アナログの世界ではね。あと、僕が使った機材のセッティングやら、いろんな合図やら、あらゆる種類のことを書き留める必要があった。当時は、アシスタントがたくさんのメモを取る必要があったんだ。だからリコールなんて誰もやりたがらなかった。それに費やした時間の半分はその通りには戻ってこなかったからね。運が良くてリコールが2、3日後の場合は、思い通りにいくこともあった。でも、2週間後、1ヵ月後となると、ちょっと怪しくなるから誰もリコールをやりたがらない。だから、その場にいる時は、みんなでミックスの最終確認をする必要があった。全員から「これで行こう」と同意を得る必要があったんだ。マスタリングにはステムは使わなかったし、そもそもステムすらなかった。インストゥルメンタル、アカペラ、TVトラック、つまりバックグラウンドだけを印刷してリードはなかった。それだけだったんだ。

だからみんなコミットするしかなかったし、コピペもなかった。ディアンジェロは違うけど、他のアーティストの場合はヴォーカルをコピーすることもあった。こんなテクニックをよく使ったよ。2台のテープマシンをオフセットして、1コーラス目はバックグラウンドでフルコーラスで歌ってそれをコピーした。当時はいいサンプリングもなかったから・・・実際にテープマシンをオフセットして録音し、1コーラス目と2コーラス目の違いを見つけて、シンクボックスを使ってもう1台のマシンは違うスポットで再生するようにした。それで、そのコーラスを2コーラス目に録音し、3コーラス目も同じようにした。

コピー&ペーストするのも当時はちょっと大変だったよ。今なら延々としていられるけどね。(エリック 笑)だからみんな怠け者になるんだ。当時は、セッション・プレイヤーになりたかったりバンドに入りたかったミュージシャンは、ただ上手くないとダメだった!スタジオでそのパートを演奏できなかったりコピーできなかったりすると外されることになる。今でも、そんなことがたくさん起こっているよ。コミットせず、同じ音も出せず、怠けてコピーばかりしたがる。すごく優秀なミュージシャンが、「そのギターとかコーラスだけど、コピーできないの?」なんて言うこともあるよ。

エリック・ラウ : それかコンプだよ、コンプを使う。

ラッセル・エレヴァード : ディアンジェロは希少なボーカリストの1人だ。『Black Messiah』や『Voodoo』で聴くすべてのシングルコーラスやハーモニー、ダブル、トリプル、そのすべてを彼が歌っている。それを各セクションにコピーしているわけじゃない。

エリック・ラウ : 他のボーカリストときたら・・・(両者笑)

ラッセル・エレヴァード : だからああいったサウンドが生まれる。最高にリアルなのは、リアルに録るからだ。彼はコピーはしてない。前のコーラスと同じコーラスではないんだ。

エリック・ラウ : そういう考え方は社会にも影響を及ぼしていると思う。編集や、メッセージのやり取りすらね。すべてにおいて最初に芽生えるリアルな直感的な感情じゃなくて、非コミット的な反応になっている。それは本物じゃない。それは社会に影響を及ぼしていると思うし、音楽の録音にも同じことが言える。僕の言ってること分かるよね。

ラッセル・エレヴァード : そうだね。すべて変わっていく。だから、それを守るためにアナログ・ファウンデーションがあるんだ。

エリック・ラウ : 思い出させるためにね。

ラッセル・エレヴァード : 結局のところ、アーティストであるということだ。もしかっこいい家具やバッグなんかを作る職人であれば、大量生産ではなく手作業で作り続けるということだよ。

エリック・ラウ : 皆さん、他に何かご質問は? 

観客からの質問:まず、小さな頃から聞いてきた音楽のミックスに貢献してくれたことに感謝の気持ちを伝えさせてください。

ラッセル・エレヴァード : ありがとう!

観客からの質問:ちょっと質問なんですが、ディアンジェロのアルバムを3年かけてミックスしたという話がありましたよね。その時、クリエイティビティが疲弊しないように何か対処しましたか?というのも、音楽をミックスする際はかなりの時間を費やすと思うのですが、何時間も費やすと違いがわからなくなることもあるのではないでしょうか?

ラッセル・エレヴァード : だいたい、そういう時はマリファナを一服してその日は終わりにする(会場笑)。文字通りそうして、次の日に備えるんだ。これまで何枚もレコードを作ってきて、自分の耳とクリエイティビティが燃え尽きる限界値を知っているからね。セッションによっても違うし。調子がいい時はそのまま作業を続けられる時もある。

でも、定期的に休憩を取ってしっかりと自分を休ませるほうが好きだ。20分働いて気分が乗らないから中断して、1時間の休憩をとってからまた始めることもあるよ。休憩前には駄目だと思っていたところが、実際は大丈夫だったりする。集中しすぎるとどうしてもね。

でも、あるテクニックを見つけたんだ。そんな気分になった時やプレッシャーを感じた時は、1時間半とか時間をとって映画か何かを観る。それなら休憩をとっても時間を無駄にしていると感じないだろ。クリエイティビティを取り戻さなきゃいけないんだから。あと、もう一度言うけどマリファナは効果抜群だよ。(会場笑)

観客からの質問:ヴォーカルパートをカットしなければならなかったことはありましたか?それとも全部使ったのでしょうか?つまり、ディアンジェロは40テイクもあったわけですが、その一部をカットする決断を迫られたことはありましたか?

ラッセル・エレヴァード : カットすることはあったよ。でも、彼がそこにヴォーカルを入れる時はどうしてもそうしたい時だから、ヴォーカルを編集することはあまりなかった。それに3年間ずっとミックスを続けていたわけじゃない。1年間レコーディングを続けて、次の半年はオーバーダブをやって、それから半年でミックスを始めて、基本的にはミックスはずっと続いていたんだ。だから、曲をアップするたびに、すでにミックス途中の形になっていて、そこからどんどん作り上げていった。だから1年半くらいで5曲くらいはほぼミックスが終わっていて(笑)、さらに4曲はミックスし始めたところで、2年目の終わりにはアルバムのほとんどがミックスできてた。でも彼が気になる点があったから見直しをして、いくつか変更した。彼が歌詞やブリッジ全体にこだわったり、セカンドヴァース全体が書かれていなかったりしたから時間がかかることもあったけど、サウンド的にはすでに出来上がっていて半分ミックスされていたんだ。ちょっとした何かが足りないだけだった。

エリック・ラウ : 何度もジャムセッションをしたんだよね。僕も最近DJ・ジャジー・ジェフのために似たようなことをする機会に恵まれて、何度もジャムセッションをしたよ。ジャムを聴き返して、ああこれは何かになりそうだと感じたり、それがアレンジや形になっていったりしたことはあった?

ラッセル・エレヴァード : ジャムは聴き返さないよ。最高のものが生まれたと分かったらその晩に聴いてみて、もっと広げられると思ったらその場でやるんだ。そうすることで正しいタイミングを知れて効率的だから、大抵はその場で取り組むね。

エリック・ラウ : 即時性があっていいね。全員がその場にいて、そこにいて、コミットしている。今となっては珍しいことだよ。

ラッセル・エレヴァード : そうだね、本当に珍しいかも。

エリック・ラウ : じゃあ、最近の話をしようか、あと10分しかないから・・・

ラッセル・エレヴァード : あっという間だ。

エリック・ラウ : ホントに。カマシ・ワシントンのプロジェクトについて教えてくれる?あれは大仕事だったね。

ラッセル・エレヴァード : もちろん!これまで何度もすごい曲を手掛けてきたから、みんな大物のトラックを僕のところに持ち込んでくるんだ。なぜか彼の音楽は聴いたことがなくて、でもその存在はよく耳にしてた。ある日友達の家にいる時に「 カマシは聴いたことある?」と聞かれて、「うん、聴こう、ずっと聴きたいと思ってた」と答えた。そのサウンドは最高にクールで、一緒に仕事がしたいと思ったよ。その一月後に電話がかかってきたんだけど、誰からだと思う?カマシiさ!すごいだろ!彼は僕の仕事を理解していたし、僕は彼の作品やすべてが大好きだったから上手くやれた。そうなるとまさにマジックで、本当にクールで特別なものが生まれるんだ。最初は200トラックもあって、僕はコンピュータやソフトウェアだけでミックスすることはなかったから作業可能な数まで減らす必要があった。だから自分のスタジオで事前にかなりミックスをしてから一緒にスタジオに入ったんだ。コンプダウンして作業可能なトラック数にするのに時間がかかった。そんな風に100トラックくらいに削ったよ (笑)

エリック・ラウ : すごい!

ラッセル・エレヴァード : それでも多いよ。ドラムが2人、ベースにはサンダー・キャットと、時にはゲストもいて、キーボードが2人、ホーンが3人、それにクワイヤもいたから多いはずだよ。

エリック・ラウ : クワイヤのマイクは何本?

ラッセル・エレヴァード : 分からないけど(笑)、26声のクワイヤでトリプルトラックだった。あとは50人のオーケストラのトリプルトラック。だからクレイジーだったよ!技術的には悪夢だったから結果に満足できて良かったよ (笑)

エリック・ラウ : すごいトラック数! (会場笑)

ラッセル・エレヴァード : そうだけど、僕はチャレンジすることが大好きだから乗り気だったよ。素晴らしいアルバムだから僕に依頼してくれて嬉しかった。彼自身もいい人だし、素晴らしい作曲家であり、人間的にも素晴らしくて、とにかく嬉しかった。また一緒にアルバムを作ることになると思う。

エリック・ラウ : チャレンジだったね。

ラッセル・エレヴァード : あと、ドラム奏者2人をミックスして、ある時はドラム1人、ある時は2人に聞こえるようにしたこともあった。ドラム奏者が2人いることを忘れるようなサウンドを作りたかった。うまく融合させることで、「え?何それ」と思われないようにしたかった。

エリック・ラウ : (観客に向かって)皆さんにお伝えしておくと、ミックスにおいてフェイズは難題のひとつで、2人のドラム奏者が同時に演奏するのはとても難しいことなんです。音楽的に成り立っていて快適に聞こえるようにするのは本当に難しいと言えます。

ラッセル・エレヴァード : そうなんだ。

エリック・ラウ : 残念ながらあっという間に時間が過ぎてしまいました。質問がある方がいらっしゃいましたら、今がそのチャンスです。マイクを渡してもらってもいい?

エリック・ラウ : ずいぶん早かったね。

ラッセル・エレヴァード : あっという間だった。ゆっくり話せたし、いい話ができた。

エリック・ラウ : 僕もそう思う。

(観客からの質問) : 確か『Voodoo』の時か、カマシ・ワシントンを手掛けている時のことについて質問させてください。あなたはカマシ・ワシントンのレコーディング中のセッションには参加していましたか?

ラッセル・エレヴァード : レコーディングには参加していなくて、ミキシングだけだよ。

(観客からの質問): では、Pro Toolsの前のことだと思うのですが・・・みんなでジャムをしていてあなたがその場にいたようなケースで、みんなの息がぴったりあってマジックが起こり始めるまで、いつもある程度の期間が必要でしたか?

ラッセル・エレヴァード : マジックは最初からあったよ。本当にそうだった。ディアンジェロも僕もクエストラブと一緒に仕事ができることに興奮していた。クエストラブのファンでもあったしね。彼らは2人ともプリンスの熱狂的なファンで兄弟のようになっていった。お互いに相手の持っていない海賊版を見せ合っていたよ。それですぐに意気投合したんだけど、最初からいたのはディアンジェロとクエストラブだけだった。ちょうど『Voodoo』のレコーディングが始まってすぐ、ディアンジェロがB.B.キングとの共演に誘われたんだ。それでB.B.キングのセッションに行ったらピノ・パラディーノ (Pino Palladino) にも会った。もう最高だったよ。B.B.キングが来るのを待っていたときに「彼が来るまでジャムしよう」という話になったんだ。

ディアンジェロがピアノを演奏して、集まったのはベテランミュージシャンばかり。想像できる?B.B.キングだよ、世界最高のミュージシャンだ。そう、ピノ・パラディーノもその場にいて、マーヴィン・ゲイの『I Heard It Through The Grapevine』を演奏し始めたんだけど、まさしくジェームス・ジェマーソンそのものだった。ディアンジェロも「マジかよ」って驚いて。ジャムセッションが終わってから彼が僕のところに来て「俺のジェームス・ジェマーソンを見つけたよ」なんて言うから、「だよな、信じられない」って返したよ。ピノのことは前から名前だけは知っていて、違うアルバムでも見たことがあった。それで僕らが自己紹介をしたら、ピノは「君がディアンジェロ?君の曲っていいよね」と言ってくれた。彼は『Brown Sugar』を持っていたのさ。それで、「すごい、じゃあ、スタジオに来てよ!」と誘ってみたら本当に来てくれてマジックが起こったんだ。3人が集まれば、時にはそれだけで十分なんだ。さっきも言ったけどマジックは最初からあったんだ。僕たちはElectric Ladylandスタジオにいて、ディアンジェロはジミ・ヘンドリックスのファンになったばかりだった。僕らは「何だって!?」と思わず叫んだよ。(一同笑)

エリック・ラウ : ワオ!この質問をしてくれてありがとう。

ラッセル・エレヴァード : あともう1つ、質問に答える時間はあるかな?

エリック・ラウ : あと1つだけ質問に答える時間があります。これが最後の質問です。

観客からの質問 : 改めて言わせてください。あなたの素晴らしい音楽には感謝しています!先ほど、オーガナイズ的なこととしてアシスタントがクレイジーなほどいろいろ書き留める必要があったと話していましたよね。オーガナイズという点で、自ら決めたルールはありましたか? オーガナイズしすぎると、クリエイティビティやその状況に集中する際に流れを止めてしまうと思ったことはありませんか? 

ラッセル・エレヴァード : あるね。

観客からの質問 : では、そういったことに注意を払う必要がありましたか?

ラッセル・エレヴァード : そのあたりは確かに紙一重だよね。初期の頃からその点についてはあまりテクニカルになりすぎないように自分に言い聞かせてた。几帳面なたちだからめちゃくちゃメモを取っていたよ。最初はセッションで起こったことすべてを書き留めていたんだけど、翌月にはもうやめた。書くことがありすぎるからね!でも、特にいろんなジャムセッションのいろんなテイクとか、メモはたくさんとったよ。実際、チャーリー・ハンターなんかは『Spanish Joint』のことをすっかり忘れていた。彼がまだスタジオにいて「他に何か忘れてることなかった?」と聞いてくるから「Spanish Jointは?」と言ったら「しまった!Spanish Jointがあったか」なんて言うんだ。もし書き留めてなかったらあの曲はレコーディングされなかったかもしれない。だから、後でやるだろうと思ったことは必ずメモしておいたんだ。

(観客からの質問): アナログの時代には紙とペンで書いていたのを、よりデジタルなやり方に変えましたか?今でも初期の頃と同じやり方をしているのでしょうか。

ラッセル・エレヴァード : その両方だね。紙に書き留める方が簡単なt時もあるけど、携帯にもメモを残すこともあるよ。いつもいろんなアイデアを書き留めて残すようにしている。

エリック・ラウ : 残念ですが時間が迫ってきましたので、このあたりで終了します。この後すぐに「2000 Black Levels of Consciousness」のライブが始まります。その後はラッセルが選りすぐりのレコードをかける予定なので、ぜひお付き合いください。では、椅子を片付けて、2000Blackの準備に入りましょう。今日はありがとうございました!

ラッセル・エレヴァード :みんな、来てくれてありがとう。

エリック・ラウ :ありがとう!

ラッセル・エレヴァード : この後もお楽しみに。

エリック・ラウ : ああ、ぜひ楽しんでいってほしいね。

写真 : Miguel Echeverria
採録 : Delia Teșileanu
15th September 2018 at Giant Steps, London

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